作家紹介


PROFILE
石原 英男

昭和16年生まれ。静岡市在住。
子供の頃から絵が好きで、高校を出てすぐに看板製作の造形社に入社。
さらに、より多くのものを見てみたい、習いたいとの欲求から
電話帳を頼りに東京の看板会社を渡り歩きながら修行を重ねる。
当時の修行で学んだ数多くの事を活かし鳥瞰模型やFRPの造形物も手掛ける。
主なものに静岡空港や新東明等がある。
現在は、看板製作のかたわら、趣味の水彩画を描く毎日。
静岡県水彩画展や芸術展などでも高い評価を得ている。


昭和33年〜35年の映画全盛期の情熱や活気が
今の私を育ててくれました。

私の青春時代、昭和31年から35年頃は映画を観てその帰り道に青葉通りにあった屋台でおでんを食べ、ラーメンをすすって帰るのが唯一の楽しみでした。
映画の最盛期で映画館の前は絶えず人の波で、映画館の入口には人を呼ぶ為に作られた大小の看板が賑わいに花を添えたものです。
特に石原裕次郎の映画が上映されると館内は絶えず満席で立ち見は常識で後ろで背伸びして観たものです。途中から入り、もう一度最初から観てその間にようやく席に座れたものです。
然し困ったのは館内で煎餅をポリポリは愛嬌ですが、タバコの煙と臭いだけは中々慣れないものでしたが、それが庶民の有りのままの姿?では・・・
各映画会社も役者の花形でお客さんを呼び込む為に争ったものです。私は十代の青春時代に他の職人と競って映画看板を描き修業しました。
又、その頃は師弟制度が残っていて、先輩・後輩の序列関係は今では考えられない程、良い意味で厳しかったですが、映画看板の手解きは「見て盗んで覚える」この一点でした。
好きで入ったこの道でしたので苦に思った事は一度もありませんでした。親方に認めて貰えるよう仕事が終わってからパンと牛乳を買い10時頃まで毎日勉強しました。今思えば懐かしく希望に満ちた青春時代でした。やがてテレビが本格的に世に広がり映画人口も減り始め私も同じ道ですが手に職をつけた技術を活用できる新しい職場に入り今日までこれた事を誇りに思っています。
映画よ永遠なれ!